目に見えないものについて

人間関係の中で互いの思いがすれ違い、悩んだり怒ったりしたことはありますか?

数値や見た目に表れないので、自分と相手との意識の乖離はどうしても避けられないでしょう。

私はずっと考えてきました。どうすれば身体のハンディキャップと同様に心のそれも理解されるのか。

それに対する私が導き出した答えは

「この世界に完全に同じものは存在しない。千差万別の人々の全てを理解しようとしない」

自分と同じだと思うから困惑するのです。同じ心を持っていると思うから苦しむのです。

これは諦めの選択ではなく、人の心の理解といった雲を掴むようなことを当事者と同じ目線で考えるのは不可能でおこがましいことですらあるということを前提に、他者の心理的な側面に理解を示すといった考えです。

同じ国に生まれ、同じ肌の色を持ち、同じものを享受してきた人と接していると、自分と似た部分が多いのではと考えてしまうのも無理はありません。

しかし心という当人でさえも複雑に絡み合う感情の折り合いに苦しんでいる代物を他人が全てを理解できるといった姿勢で接することは、かえって人間関係に溝を作ってしまいます。

別の言い方をすれば、想像力は先入観や固定観念によって簡単に左右され形成されてしまうものであるという自覚を持ち、想像が及ばない世界や人や心が確かに存在するという考え方を持つことが重要なのです。

この点において物事を0か1かといった二元論で考えてしまうことも憂慮すべき事柄であると考えます。

左手の指が一本少ない・右足がない・椅子に長時間座っていられない・目を見て話せない

近年ハンディキャップと考えられている身体と心の特徴を4つ並べました。

ここで言う二元論とは目で見て手で取れるか否かです。

二元論を用いる場合、左二つは救い上げられ右二つは恐らく切り捨てられてしまうでしょう。

二元論は様々なものが複雑に絡み合って成り立つ事象を無理矢理単純化して、思考を楽にしてしまう概念です。

ハンディキャップを理解する際に二元論を用いれば、障害として救い上げるか切り捨てるかを楽に判断できてしまうので周りの人々は楽になるでしょう。

しかしハンディキャップは0か1かといった整数で判断できるものではなく、目で見て手で取れない小数点以下の特徴も考慮しなければならないのです。それは心はもちろん身体の特徴にも当てはまります。

二元論を用いると本来不自由なくこなせるあらゆる行為を、表面上の差異からこちらが一歩的に出来ないと判断してしまい、あらゆる融和の芽を摘んでしまうことになりかねません。

整数の世界から小数の世界に移ることがハンディキャップへの理解に繋がるのではと考えます。

少数の世界に移るということは上で述べた通り、人の心というのは自らの想像力ではすべてを理解できないほど広大で様々な感情が複雑に絡み合っているものであるという考えを持ち、あらゆる人の心を許して愛する姿勢を持つことです。

誰一人として同じ人は存在せず、皆様々な色を持っている世界は本当に素晴らしいものです。

異なる色を持っている誰かが、いつかあなたの救いとなります。

そしてあなたの色に救われるでしょう。

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